Curiosity

骨とワニが好きなデザイナーです

わたしの知らないあなたの主観とあなたの知り得ないわたしの主観

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先日書いた内発的/外発的モチベーションの話*1と関連して、今回は「主体と客体」について、ユクスキュルの名著『生物から見た世界』で論じられている内容をまとめてみようと思います。

生物から見た世界 (岩波文庫)

生物から見た世界 (岩波文庫)

あのひとのみている世界と、わたしがみている世界は違う

人間を含む動物という主体は、さまざまな物、すなわち客体に取り囲まれて生きています。そうした「主体のまわりにある全て」をひっくるめたものが環境です。環境のなかで、主体が重要な情報として受け取ることができる刺激は、実はそのうちのごく一部でしかありません。海底のウニは自身の上を横切ったのが天敵の魚なのかタイタニックなのかを区別することなく、光を遮るものに一様に針を向けます。ウニが識別する刺激は光を遮るものがあるかないか、ただそれだけです。このような「主体が環境を独自の認識によって切り取った世界」のことを、ユクスキュルは環世界と表現しました。

主体とその環境の客体とのあいだの関係がどのようなものであろうとも、その関係はつねに主体の外に生じるので、われわれはまさにそこで知覚標識を探さねばならない。主体の外にあるこれら知覚標識どうしはそれゆえつねになんらかの形で空間的に結びついており、そしてまた一定の順序で交代していくので、時間的にも結びついている。

われわれはともすれば、人間以外の主体とその環世界の事物との関係が、われわれ人間と人間世界の事物とを結びつけている関係と同じ空間、同じ時間に生じるという幻想にとらわれがちである。*2

多くのヒトにとって単なる道草にすぎないレンゲの花が、ミツバチにとっては全身全霊で追い求めるべき資源であるように、動物(主体)は世界をそれぞれ異なったかたちで認識し、そこに関わっているというわけですね。そして不変のものと考えがちな「空間」や「時間」についても、各主体によって認識の仕方に大きな違いがあると。人間基準でカタツムリはのろまかもしれないが、カタツムリ基準では自身をのろまと思わない、というような話です。

足らざるを知ること

UXデザインでは、客観的な特性(品質特性。ユーザビリティなど)と主観的な特性(感性特性。心地よさなど)の両方が重要だとされていて*3、それぞれいい感じにしていこうぜという話題をよく聞きます。とくに最近は後者について、モチベーションの理論や行動モデル*4などのおもしろさに目を引かれがちでした。個人的に。

ただ、それと同時に、そうした考えばかりに接しているとどうも傲慢な思考に偏りやすくなりそうだという気もしてきました。結局のところ、私たちが何かについて知り得ることなどごくわずかなのだ……とここらで自分に釘を差しておこうと思った次第です。