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【読書メモ】ソクラテスの弁明

突然ですがただいま古典に学ぶ週間。今回はプラトン著『ソクラテスの弁明』を読んだので、その読書メモを残しておきます。

あくまで読書メモ(本を読んで個人的に気になったところ、感じたことのメモ)なので、解読や解説などではありません。どうぞあしからず。

なんでこの本を読んだのか

社会人になって、人と対話しながら仮説・検証を行う機会がグッと増えました。対話といえばソクラテスの「問答法」。古代ギリシャ最大の賢人がどのように人と会話し、論を展開していたのかを学ぶため、原典を読んでみました。あと意外と薄くてすぐ読めそうだったのも読んでみた理由のひとつだったりします。

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

本の内容は、ソクラテスがその独自の話術によりアテネ市民を混乱させた廉で死刑を宣告された裁判において彼がなにを語ったかをまとめた対話篇です。

気になったところ

私は今もなお神意のままに歩き廻って、同市民であれまたよそ者であれ、いやしくも賢者と思われる者を見つければ、これを捉えてこの事を探求しまた闡明しているのである。そうして事実これに反することが分れば、私は神の助力者となって、彼が賢明ではないことを指摘する。またこの仕事あるが故に、私は公事においても私事においてもいうに足るほどの事効を挙ぐる暇なく、神への奉仕の事業のために極貧の裡に生活しているのである。 【第九章 p24】

闡明(せんめい)とは 不明瞭であったことを,はっきりさせること 。知らなかった言葉をひとつ知れました。賢者のように振る舞っている人が本当に賢者なのかどうかを明らかにすることを神からの使命とし、生活すらも二の次に対話を繰り返す生活。現代で言うと所謂めんどくさいオジサンのよう…

思うに、死とは人間にとって福の最上なるものではないかどうか、何人も知っているものはない。しかるに人はそれが悪の最大なるものであることを確知しているかのようにこれを怖れるのである。しかもこれこそまことにかの悪評高き無知、すなわち自ら知らざることを知れりと信ずることではないのか。 ―(中略)― そうして私がもしいずれかの点において自ら他人よりも賢明であるということを許されるならば、それはまさに次の点、すなわち私は冥府(ハデス)のことについては何事も禄に知らない代りに、また知っていると妄信してもいないということである。 【第一七章 p36】

無知の知の話。「私は知らないということを知っている」という認識は、「自分が何を知らないかを知ることは、知らなきゃいけない内容を知るよりも難しい」ということなのかなと思いました。問題を発見した時点でその問題は半分解けているようなもの、と同じ話で。

また前述したソクラテスの生活を思い返してみると、彼が「本当は何も知らないのに、何かを知っているように振る舞うのは神への冒涜だ」という意志で行動していたということが分かってきます。

しかるに私は、未だかつて何人の師にもなりはしなかった。ただ私は、私が自分の使命を果さんとして語るとき、誰かそれを聴くことを望む者があれば、青年であれ老人であれ、何人に対してもこれを拒むようなことはしなかったのである。また私は報酬を得る時には語るが、他の場合には語らぬというようなことなく、むしろ貧富の差別なく何人の質問にも応ずるのみならず、望む者には私の質問に答えつつ私のいうところを聴くことをも許したのだった。 【第二十一章 p43】

そしてここで彼が、あくまでフラットな立場で対話しようと努めていたことが見えてきました。 実はこの辺が何よりむずかしいポイントなんじゃないかしらと思ったりなんだり。

否、諸君、死を脱れることは困難ではない、むしろ悪を脱れることこそ遙かに困難なのである。それは死よりも疾く駆けるのだから。 【第二十九章 p54】

悪は死よりも疾い。この表現かっこいい。

諸君、他日私の息子共が成人した暁には、彼らを叱責して、私が諸君を悩ましたと同じように彼らを悩ましていただきたい、いやしくも彼らが徳よりも以上に蓄財その他のことを念頭に置くように見えたならば。またもし彼らがそうでもないくせに、ひとかどの人間らしい顔をしたならば、その時諸君は私が諸君にしたと同様に彼らを非難して、彼らは人間の追求すべきものを追求せず、何の価値もないくせに、ひとかどの人間らしい顔をしているといってやっていただきたい。諸君がもしそれをしてくれるならば、その時、私自身も私の息子共も、諸君から正当の取扱いを受けたというべきである。 【第三十三章 p59】

頭を垂れて謙虚に生きます。

読み終えてみて

神も認めた最高の賢者が行う対話は、やはりとても美しかったです。参考にはできないけど(いろんな意味で)。

ちなみに『ソクラテスの弁明』は彼の一人称のみで話が進むので、対話の様子を知るならむしろ同書に収録されている『クリトン』(死刑を待つ間に友人と交わした会話の様子を描いた対話篇)のほうがよく分かりました。少しずつ外堀を埋めるように話が進むので、当時会話していた人は大分プレッシャーがあったんだろうな…というのが伝わってきます。こちらも相当おもしろいです。

古典に学ぶ週間、次回はデカルト著『方法序説』の予定!