少し前に話題になっていた「ルーマニアの呪文の言語学」という講演を聴講したので、勉強メモを残しておきます。
⚠️免責事項
本記事はあくまで個人的な勉強メモであり、講演者の方の見解を代弁するものではありません。また、内容に関して私の理解が及んでいない部分もあるかと思いますので、間違いを発見した際はご連絡いただけますと幸いです。
講演概要
- 講演タイトル:「ルーマニアの呪文の言語学」
- 講演者:角 悠介 氏
- 開催日時:2024年12月2日(月) 16時05分~17時35分
- 講演案内:
講演者自己紹介
- 講演者:角悠介(すみゆうすけ)氏
- 公開プロフィール(講演案内チラシより引用)
- 神戸市外国語大学客員研究員/ルーマニア国立バベシュ・ボヨイ大学日本文化センター所長・ロマニ語講師/北マケドニア共和国聖キリル・メトディウス大学ロマニ語講師/専門学校アテネ・フランセ講師/東京外国語大学オープンアカデミー講師。 ルーマニアにて学士号と博士号、ハンガリーにて修士号を取得。在外公館と協力しルーマニアと 日本の友好関係の発展に努める傍ら、東欧にてロマ民族(ジプシー)の言語「ロマニ語」のフィールドワーク研究を行う。国際ロマ連盟日本代表、言語・文化専門官。
- 本業はロマの言語「ロマニ語」の研究
- ロマはかつて馬車で放浪生活を送り、ジプシーと呼ばれていた人たち(「ジプシー」は現在蔑称なので要注意)
- 主著
- 『ロマニコード 謎の民族「ロマ」をめぐる冒険』 https://www.amazon.co.jp/dp/4906790399
- 『ニューエクスプレス+ ロマ(ジプシー)語』 https://www.amazon.co.jp/dp/4560089167
- 『呪文の言語』2025年春刊行予定
- 中学時代に人工言語エスペラントを学習したことをきっかけに言語学に興味を持ち、高校卒業後に東欧へ留学
- 留学前に、ルーマニア出身の山田エリーザ氏にルーマニア語を習っていた。そのなかでよく呪文を聞き、呪文に興味を持った
- 例えば「サ ヌ フィエ デ デオキ(邪視にかかりませんように!)」という呪文
- 邪視(deochi)とは、「悪意の有無に関わらず相手を見つめること時代が相手に悪い作用を引き起こす」もの。ゴルゴンの首のような。特に生まれたばかりの赤子(家畜)が作用を受けやすいとされる。
- 関連講座:東京アストロロジースクール『暮らしの中に生きる「魔法」伝統魔女の全て』 https://yakan-hiko.com/meeting/tokyo_ast/romania/top.html
- →講演者と鏡リュウジ氏と山田エリーザ氏がルーマニアの魔女について鼎談した講演会
- →2024年12月16日までアーカイブ動画視聴可能
- 本日は学術講義なので、東京アストロロジースクールとは中身が全く異なる
ルーマニアという国について
- ルーマニアは多民族国家
- 宗教:ルーマニア正教とカトリック
- 歴史:古代「ダキア」→中世「ワラキア公国、モルドバ公国、トランシルバニア公国」→現代「ルーマニア」
- ダキア(ダチア)人とは
- バルカン半島近辺に住んでいたトラキア人の一派
- 首都はトランシルバニア地方にあるサルミゼジェトゥーサ
- シンボルは狼の頭を持つ竜
- ローマ人がダキアに侵略し、定住し、ローマ人+ダキア人がルーマニア人となった
- (ちなみにローマのシンボルは狼の乳を飲む2人の子→ロムルスとレムス)
- ルーマニアの言語=ルーマニア語
- ルーマニア語はロマンス諸語のひとつ
- ロマンス語はラテン系の言語だが、ルーマニアはまわりをスラブ系の言語・民族に囲まれている(→「スラブの海に浮かぶラテンの孤島」と呼ばれる)のでその影響が強い
- ルーマニアでは古くはキリル文字を使用していた。古い教会には聖書の物語を説明した絵とキリル文字が残っている
- ルーマニア語の例
- 「こんにちは」は「ブナズィワ」→ボンジョルノ(伊)やボンジュール(仏)などのロマンス語に近い
- 「ありがとう」は「ムルツメスク」→multi- 多くの(ラテン語)が語源
- 「愛してる」は「テ ユベスク」→ロシア語(スラブ語)に近い
ルーマニアの魔術・魔女
- ルーマニアは魔女大国
- 火を炊く儀式、黒い雌鶏、ほうき、いろいろな植物や貝殻、大鍋…
- Lucia Sekerková(写真家)の写真集「希望を売る女たち」(日本でも刊行予定?)で紹介されている
- ルーマニアの魔女の大半は「ロマ」
- 「ロマの魔女」は「ルーマニア人の魔女」ではない
- ロマの魔術はビジネスのひとつであって、商売のためならなんでもOK的な発想でいろんな宗教のアイテムを雑多に扱っていたりする
- ルーマニアにはロマではない魔女もいるが、ロマの魔女に比べると存在感が薄い(というか特別感が薄い)
- ロマの魔術には表魔術と裏魔術があると考えられる
- 表→ビジネスとしての魔術。ビジネスとはいえ基礎は伝統魔術なので民俗学的には侮れない。ルーマニア人がクライアントなのでルーマニア語で呪文を言う
- 裏→自分たち(ロマ)のための魔術。例えばロマの呪法「死の福音」(ロマの十字架)というものがある。自分たちのためのものなのでロマニ語で呪文を言う
- ルーマニアの魔術には表裏がない
- ルーマニアでは魔術を魔術とは呼ばないし、魔女は魔女を名乗らない(魔女っぽい人に魔女なのかと問うとちょっとムッとする)
- →魔術や魔女的なものはあくまで伝統文化の一つであって、特別なものではない(魔女というとキャラクター的な印象があって自分たちをそう扱われるのはいい気がしないらしい)
- ルーマニアのことわざ「村の数だけ法がある、老婆の数だけ魔法がある」
- →このことわざから分かること:①魔術と村社会の調和、②魔法が女性の専売特許であること、③魔術には差異があること(→③については後述)
- →魔女っぽい人のことをルーマニア語で「ババ・メシュテラ(巧み婆、遣り手婆)」ということからも、魔女が特別な存在ではないことがわかる
- なぜルーマニアには魔女っぽい人たちが今も残っているのか
- ミルチェア・エリアーデ『オカルティズム 魔術 文化流行』未来社 https://www.amazon.co.jp/dp/4624100166
- →ルーマニア(東ヨーロッパ)では、魔女狩りが(西ヨーロッパのようには)組織的には行われなかったので伝統文化として残り続けた
魔術を学術的に考える
- 考古学者クリス・ゴズデン『魔術の歴史』 https://www.amazon.co.jp/dp/4791775449
- 魔術とは「participation(参画)」である
- 「人間と宇宙の繋がりを強調する。(中略) 人間は宇宙の営みに対してオープンであり、宇宙は我々に応答する。」p9
- 「人間は直接的に宇宙に参画し、宇宙はわれわれに影響を与え、われわれを形作る。」p17
- →人間は、宇宙の営み(運命)に介入=参画できるという考え
- 人類学者ジェームズ・フレイザー「魔術の原理」
- ジェームズ・フレイザー - Wikipedia
- 類似の原理(類感魔術)→似たものは似たものによって引き起こされるという魔術(呪いたい相手に形を似せた藁人形を作りそれを苦しめるなど)
- 感染の原理(感染魔術)→一部を用いて全体に影響を及ぼす魔術(相手の髪の毛を用いて呪いをかけるなど)
- ルーマニアの魔術の分類
- 天候の魔術
- 家庭魔術
- 豊穣の魔術
- 医療魔術
- 恋愛魔術
- 予見魔術
- →豊かな西ヨーロッパの魔術は「自分の願いを叶える」といったイメージが強いが、貧しい東ヨーロッパの魔術はもっと切羽詰まっていることがわかる
呪文を言語学的に考える
- いろいろな呪文
- 呪文は魔術の一部であり、時に全部である
- →「理解性と意味」という観点で見ると、意味があって言語的にわかる呪文と、意味はあるけどわからない呪文、意味もないしわからない呪文の3タイプがある
- 例1「イタイノイタイノトンデケー」 →日本語がわからない人には意味がわからない呪文
- 例2「エクスペクト・パトローナム」 →ラテン語がわからない人には意味がわからない呪文(「我、守護者を待ち望む」の意)
- 例3「ビビティ・バビティ・ブー」 →そもそも意味はない呪文。面白い音を繋げただけ
- 例4「アブラカダブラ」 →護符(象徴記号)から派生したもの。呪文というよりは記号
- ことばの力と言霊
- ことばにはそもそも力がある
- 言霊信仰は、ことばの機能の延長上に創造された力と考えられる
- ことばから人は類推する
- 「豚カツがうまいなら牛カツもきっとうまい」は正しい類推
- 「カツ丼を食えばきっと勝つ」は飛躍した類推(ゲン担ぎ・言葉遊び)
- こどばの恣意性
- スイスの言語学者ソシュール「ことばが指し示すもの(シニフィエ)とそれを示す言語記号(シニフィアン)の間には必然的な結びつきはない(ただし擬音語は別)」。日本語で犬を「イヌ」というのは習慣的なものであり、他言語ではドッグだったりシアンだったりする
- →とんかつの「カツ」はもとはフランス語であり日本語の「勝つ」とは関係のないもの(=音が「偶然」似ていただけ)だが、これを偶然じゃないと考えると「言霊信仰」へつながる
- →さらにこれはことばを介した「類似の原理(類感魔術)」の一種と捉えることができる
- 講演者の自論:「ことばは事象を表現する」
- 「ことばは高度に単純化された究極の類似物」
- ことばを介した宇宙への参画(=呪文詠唱)には「類似の原理」が働いていると考える
- 講演者の関心:「呪文の最小単位」は何なのか
- 何が「呪文」と「ことば」を隔てるのか
- どうすればことばが呪文になるのか
- ことばと呪文の違いは、「魔力(を想起させる要素)の有無」にあるのではないかと考えられる
- 呪文の宛名(=魔力発生源)の有無による分類
- 宛名のある呪文は外部依存型で、宛名のない呪文は自己完結型として分類できる
- →ルーマニアの魔術の宛名(魔力の発生源)には例えば、太陽、星、水、道具、植物、精霊、病魔、神、聖人、悪魔などがある
- →自己完結型呪文(宛名のない呪文)には呪文の構造自体に魔力を想起させる要素(=魔力発生源)が含まれている?(cf. 蛇の噛み傷治しの呪文)
- 魔力生産方法(魔力を想起させる要素)による分類
- 暗号的魔力生産方法(理解不可能性から魔力が発生する)
- 修辞学的魔力生産方法(特殊な言い方から魔力が発生する)
- 形式的魔力生産方法(呪文の特殊な形式から魔力が発生する)
- なお、ルーマニア語の呪文に暗号タイプは少ない
- 「種まき人の回文」という、「アブラカダブラ」に似たタイプの「護符から派生した呪文」がある(元はヘブライ語?)
- ルーマニア語版の「種まき人の回文」は全然回文になっていないし、訛ってもいる。これにはかつての識字率の低さが影響したと考えられる(=口伝による伝達過程での変形)
- ルーマニアの魔術にはいろいろな差異がある
- 個人間の差異 →同じ魔女(母親)から魔術を学んだ姉妹に同じ呪文の聞き取りをしたところ、それぞれ内容が異なっていた
- 個人内の違い →同じ魔女に時期を置いて同じ呪文の聞き取りをしたところ、内容が異なっていた
- →魔女は体系だった呪文を学ぶわけではないのでこういうことが起きる
- →ルーマニアの呪文は「盗んで学ぶ(=盗んだものでなければ効果がない)」とされていることも影響している
【感想】
- 西ヨーロッパの魔術や魔女についてはなんとなくイメージを持っていたけど、それとはまた違った東ヨーロッパの魔術・魔女のあり方が聞けておもしろかったです。
- 言語学の講演をちゃんと聞くのは初めてだったので、呪文を「理解性と意味」によって分類したり、宛名の有無によって分類したりするというアプローチのなるほど感が印象的でした。呪文を言語学的に考えるというのがどういうことなのかがよくわかって興味深かったです。
- 「種まき人の回文」のように、時を経るにつれてそのものが元々持っていた意味が失われ、それでも実践と効果は残り続けているものというのは言語に限らずありそう(いわゆるジンクスとか)で、これからの生活でちょっと気にしてみたいなと思いました。