Curiosity

骨とワニが好きなデザイナーです

【読書メモ】「ファンタジア」を読んで「創造力」についてまとめた

本日の読書メモは、偉大なデザイナーであり教育者でもあるブルーノ・ムナーリさんの著作「ファンタジア」。ものづくりに携わる人が大切にしなければならないことについて。何度も読み返したくなる良書です。

ファンタジア

ファンタジア

ファンタジアとは

ファンタジアとは、ある人にとっては気まぐれなもの、不可思議なもの、変なものである。またある人にとっては現実でないという意味で偽り、望み、霊感、妄想である。


ファンタジア、発明、創造力は考えるもの。想像力は視るもの。(p15 創造力ってなに?)


ファンタジアの産物は、想像力、発明のそれと同様、考えたことと知っているものとの関係から生まれる。当然ながら知らないものと知らないものとでは関係を築くことはできないし、知っているものと知らないものとでも関係は築けない。(p29 知っているものの関係)


ファンタジアの豊かさは、その人の築いた関係に比例する。その人がきわめて限定的な文化の中にいるなら、壮大なファンタジアはもてず、いまある手段、すでに知っている手段を常に利用せざるをえない。(p29 知っているものの関係)


子供は壮大なファンタジアの持ち主だと多くの人が信じている。なぜなら、現実的でないものを子供のイタズラ書きや話す内容から感じ取るからだ。あるいは、大人は、自分がずいぶん条件づけられて行き場のない状態にあるから、もう子供と同じように発想できないと感じ、子供の壮大なファンタジアを信じ込んでいるのかもしれない。しかし実際には、子供もきわめて単純な操作をしているに過ぎない。つまり、子供はよく知らないものに知っているものを投影しているのだ。(p30 知っているものの関係)

ファンタジアと創造力

創造力とは、あろうかぎり完全な意味合いにおいて、人間の能力を活用する方法と結論づけられるだろう。(p145 ダイレクト・プロジェクション)


ファンタジアと発明を利用する方法である創造力は、形成されては絶えず変化しつづける。この創造力は機敏で柔軟な知性を必要とする。つまり、いかなる種類の先入観からも解放された精神、どんな場合にも自分のためになることならなんでも学びとろうとする精神、より適切な意見に出会ったならば自分の意見を修正できるような精神を必要とするのである。(p121 創造力を刺激する)


したがって、創造力のある個人とは、絶え間なく進化しつづけるのであり、その創造力の可能性は、あらゆる分野において、絶えず新しい知識を取り入れ、そして知識を広げ続けることから生まれる。(p121 創造力を刺激する)


知らない形を理解しようともせずに、知っている形に無理矢理変えるのは、幼稚な思想を露呈している。(p191 15個の石)


創造力のある人は、常に共同体から文化を受け取り、そして与え、共同体とともに成長する。創造力のない人は、だいたい個人主義者で、頑なに自分の意見を他の個人主義者のそれと対立させようとする。(p121 創造力を刺激する)

創造力は個人が単独で育むものではなく、人との関係によって豊かになっていくものなんですね。

こんな日本の規則がある––完璧さとは美しい、が、愚かしくもある。完璧さを知り、使い、破壊しなければならない。(p194 15個の石)

ファンタジアと教育

とくに教育に関するムナーリ先生の考えは、個人的にはすごく納得のいくことばかりで、参考になりまくります。

もし子供を創造力にあふれ、息の詰まったファンタジア(多くの大人たちのような)ではなく、のびのびとしたファンタジアに恵まれた人間に育てたいなら、可能なかぎり多くのデータを子供に記憶させるべきだ。記憶したデータが多ければその分より多くの関係を築くことができ、問題につきあたってもそのデータをもとに毎回解決を導きだすことができる。(p30 知っているものの関係)


ファンタジアの発達にとって基本的な問題は、要するに知識を増やすことであって、より多くの情報があればその分だけ多くの関係を築くことができる。だからといって自動的に、教養豊かな人間はファンタジアも豊かである、ということにはならない。それは絶対にちがう。膨大なデータを記憶し、傍からみればたいそう立派なインテリ然とした人もいるが、それは単に記憶力の問題である。知っていることからさまざまな関係を作りもせず、ファンタジアを活用しないなら、その人はずっと不要なデータの素晴らしいデパートメントのままである。(p35 知っているものの関係)


このプロジェクターの提案から、他のヴィジュアル・コミュニケーションの技術を発表する際にも有効である規則を引き出すことができる。 1. 機材について充分に教えること。その機材にふさわしい使い方や機材のもつあらゆる可能性について教える。 2. 機材にもっとも適った技術を理解させること。 3. 理解したことから何をするかをそれぞれに選択させ、決定させること。 4. 作業の結果をみんなで一緒に分析し、話し合いをすること。これは誰が一番かを決めるためではない。それぞれが仕上げたものについて、その存在理由を与えるためである。 5. 発表するという目標をもたせ、なるべくグループ作業で進められるようにうまく導くこと。 6. すべて壊して最初からやり直すこと。これは新しい知識を継続的に獲得するため、そして作ったものを神格化させないためである。(p143 ダイレクト・プロジェクション)


これらの知識は人格を破壊などしない。無知こそが最大の自由を与えると信じるのは絶対に間違っている。むしろ、知識こそが自己表現の手段を完全に操る力を与えるのだ。それにより、手段とメッセージに一貫性をもたせ明確に自己表現できるようになる。この一貫性を欠いたお粗末な思い違いはしょっちゅうある。実に多くの芸術作品でそのメッセージが発信者、つまり作者の意図のもとに留まったままとなっており、受信者、つまりメッセージが意図的に向けられた観る者のもとへは届いていない。(p143 ダイレクト・プロジェクション)


ある人が将来クリエイティヴな人間になるか、あるいは単なる記号の反復者になるかは教育者になるかは教育者にかかっている。ある人が自由に生きるのか、それとも条件づけられて生きるのかは人生の初期段階をどのように過ごしたか、そこで何を経験し、どんな情報を記憶したか、ということにかかっているのである。大人たちは未来の人間社会がかかっているこの大きな責任に気づくべきではないだろうか。(p37 知っているものの関係)