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【読書メモ】「ピクサー流 創造するちから」を読んで「率直さ」についてまとめた

最近、チームビルディングがどうこうという文脈でよく取り上げられる「率直さ」。分かるようでよく分からんこの言葉について深堀りしたくなったので、「ピクサー流 創造するちから」を読んで気になった文章をメモってまとめました。「第五章 正直さと率直さ」の内容がほとんどです。

率直さってなんだろう?そうするにはどうしたらいいんだろう?と思っている方の参考になるかも?

ピクサー流 創造するちから

ピクサー流 創造するちから

率直さとは

率直さとは、単刀直入やフランクさのことで、実際には正直さと大して変わらないが、一般的な使い方として、本当のことを言うというだけでなく、あけすけさや抑制のなさも表す。(p125 第五章)

率直さが必要な理由

問題を解決し、効果的に共同作業を行うためには、事実や問題点、ニュアンスをつかむ必要があり、そのためには、隠し事をしたり人を惑わせたりせずオープンに、十分にコミュニケーションをとるしか方法はない。(p124 第五章)


複雑で創造的なプロジェクトを引き受けた人は、その過程のどこかで道を見失う。そういうものだ。ものをつくるには、いっときそのものになりきるくらいに入り込む必要があり、ほぼ一体化した状態になって初めて、本当につくりたかったものが見えてくる。だが、それは一筋縄ではいかない。脚本家や監督は、一度は見えていたはずのものが途中で見えなくなる。以前はちゃんと森が見えていたのに、今は木しか見えない。ディテールに寄りすぎて全体が見えなくなり、そのせいで、これだという方向に自信を持って進むことができない。その経験はたとえようのないものだ。(p132 第五章)


率直さは残酷ではない。反対に、フィードバック制度は、自分自身も経験しているからその痛みを理解できるという共感、全員の当事者意識のうえに構築すべきだ。自尊心を満足させたいという欲求、そうした感情を持ち込ませないよう努力している。批評の目的はただ一つ、助け合い、支え合うことによってよりよい映画をつくることだ。(p149 第五章)

率直であるのが難しい理由

※ ブレイントラストの概要:http://hidekasai.tumblr.com/post/22032946304

初めて参加するブレイントラスト会議。熟練の優秀なメンバーが部屋を埋め尽くしている。先ほど上映された映像について議論するためだ。この状況で、発言に慎重になる理由はいくらでもあるだろう。礼を失したくない、相手の意見を尊重し、できれば従いたい、恥をかきたくない、知ったような口をききたくない。自分が発言するときには、どんなに自信がある人でも、一度チェックするだろう。これはいいアイデアだろうか、それともくだらないアイデアだろうか。ばかなアイデアは何回までなら言っても許されるのだろうか。思ってもいないことを言ったり、何も言わずに済ませたいわけではない。この段階では、率直さなどそっちのけで、ばかだと思われないためにどうするかしか考えていない。(p129 第五章)


もっと厄介なのは、そういう葛藤と戦っているのは一人ではなく、皆がそうだということだ。社会的に自分より上の立場の人には本音が言いにくい。さらに、人が大勢いるほど、失敗できないプレッシャーがかかる。強くて自身のある人は、無意識にネガティブなフィードバックや批評を受けつけないオーラを放ち、周囲を威圧することがある。成否が問われる局面で、自分のつくり上げたものが理解されていないと感じた監督は、それまでのすべての努力が攻撃され、危険にさらされていると感じる。そして脳内が過熱状態になり、言外の意味まで読み取ろうとし、築き上げてきたものを脅威から守ろうと必死になる。それほどのものがかかっているとき、真に忌憚のない議論を期待するのはとうてい無理だ。(p130 第五章)


つくりかけの作品や中途半端なアイデアを人に見せて恥をかきたくないし、監督の前でまぬけなことを言いたくない。そこでピクサーではまず最初に誰もが途中段階の作品を見せ合い、誰もが提案できることを教える。それが理解できると、恥ずかしい気持ちが消え、恥ずかしい気持ちがなくなると、人はもっと創造性を発揮できるようになる。問題解決の苦悩を安心して話し合えるようにすることで、皆が互いから学び、刺激を与え合う。その行為そのものが人間関係を実り多いものにする。(p255 第十章)


どんなに経験豊富なブレイントラストでも、その基本理念を理解していない人、批評を攻撃と受け取る人、フィードバックを咀嚼しリセットしてやり直す能力のない人を助けることはできない。(p149 第五章)

率直に「話す」には

ブレイントラストは率直な批評が重要だと言ったが、当然、制作スタッフが本音を聞く覚悟ができていることも重要だ。率直な意見は、それを受け取る側が耳を傾け、いざとなれば効果的でない部分を捨て去る覚悟があって初めて役に立つ。(p141 第五章)


どんな効果的なフィードバックグループもそうだが、そこで得られた視点を自分に抗うものではなく、プラスになると考えることがカギになる。競争意識があると、人のアイデアと自分のアイデアを比較するため、議論ではなく、勝ち負けを決める討論になってしまう。反対に、プラスのアプローチは、参加する一人ひとりが何らかの貢献をする(たとえ議論をわかせるだけで最終的にボツになるアイデアでも)という理解からスタートする。ブレイントラストの価値は、たとえ瞬間的にでも人の目を通して作品を見ることができること、視野を広げてくれるところにある。(p145 第五章)

率直さを「引き出す」には

どんな集団でも一定の信頼関係を築き、本当に率直に話せるようになり、反撃を恐れずに危惧や批判を表明できるようになり、グッド・ノートの言葉遣いを覚えるまでには時間がかかる(p149 第五章)


ブレイントラストは、明らかに欠点があり練り直しが必要だと言われる苦痛を最小化するように考えられている。監督が自己防御に走ることはめったにない。自分の権限を振りかざす人や、ああしろこうしろと言う人がいないからだ。つくり手ではなく、作品そのものが精査される。この原則を理解させるのはなかなか難しいが、非常に重要だ。人とその人のアイデアは別物だ。イデアを自分のことのように考えてしまう人は、アイデアを批判されるとムッとする。健全なフィードバック体制を築くには、そのイコールの関係を排除する必要がある。人ではなく、問題を見るようにするのだ。(p135 第五章)


悪いところ、抜けている点、わかりにくい点、意味をなさないところを指摘するのがグッド・ノート(よい指摘)だ。まだ問題を直せる段階でタイムリーに示す。要求事項は含まれない。修正案もなくていい。修正案がある場合でも、それはあくまで一つの可能性として示されるだけで、指示ではない。ただし、グッド・ノートは何よりも具体的である必要がある。「身悶えするほど退屈」はグッド・ノートとは言えない。(p148 第五章)


どんな指摘をするにしても、相手を考えさせることが大事だとつねに思っています。『あの子に宿題をやり直しさせたくなるにはどうしたらいいか』というふうに。だから学校の先生と同じことをします。問題を言い方を換えながら五〇回くらい指摘すると、そのうちのどれかが響いて相手の目がぱっと開く。『ああ、それやりたい』って思ってくれるんです。『このシーンの脚本がイマイチ』と言う代わりに、『見終わった観客にあのセリフよかったよねって言ってもらいたくない?』と言う。挑発ですね。『これやりたいんじゃない? やってよ!』って」(p148 第五章)


どれほど促しても、(反省会の)出席者はあからさまな批評をしたがらない、ということを忘れてはならない。その壁を取り除くために私がとった方法は、出席者に二つのリストをつくらせることだった。一つは、次回もやろうと思っていることトップ5、もう一つは、二度とやらないと思っていることトップ5だ。否定的なことを肯定的なことが相殺するため率直な意見を言いやすい。進行役にそのバランスをとるように頼んでもいい。(p286 第十章)